Back Number Vol.106~ 

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コラム「立石かずこのフェイスストレッチング」の
バックナンバーVol.106からの掲載ページです。
(2018年5月~)


立石かずこプロフィール


・株式会社パーソナルカラー研究所スタジオHOW専務取締役
・フェイスストレッチング協会代表
・ビジネスマナー指導協会認定講師 ・日本顔学会会員
・カラー&イメージコンサルタント
・日本パーソナルカラー協会監事
・日本色彩学会会員

 
 
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何十年ぶりかで中学・高校時代の母校に行って来ました。
全卒業生の総会があったのですが、友人と「参加しようか」と言うきっかけになったのは、「あの急な坂を上れるのはあと何年?」と言う話題でした。
思い起こせば、中学合格発表を見るために緊張して雪の積もったこの坂を駆け上がったのは何十年前だったでしょう。

その後の一番様々なことを学び、身につけた6年間、この坂を上ったのですね。
お世話になった先生方、数々の部活や講座で出会った友人や先輩達、普段は意識していない様々なことが思い出されました。

議事報告や講演会が終わり、懇親会でおいしいお弁当をいただきながら同じテーブルの方々とお話をしました。
卒業年度も様々ですので、その頃のいろいろな話題が登場します。
向かい側に座った後輩の方から「お元気そうですが、お仕事は何かしていらっしゃるのですか?」とのご質問をいただいた時、一瞬「どうしようかな?」とためらったのですが、思い切って「医学博士考案のお顔の筋肉運動をお教えしているのですよ」と打ち明けました。

実は総会の後の講演会で卒業生の講師から「毎日を楽しく生きるためには」とのテーマで楽しいお話を伺ったのですが、日常生活のポイントとして挙げてくださった中で「良く笑うこと!」との項目がありました。
「頭の元気、体の元気、心の元気」にも作用します・・との解説。
その話題を取り出して、お顔の筋肉運動もそのあたりと繋がっているのですよ・・と簡単にご説明。

簡単な解説でご理解くださったかどうか・・と言うことですが、
フェイスストレッチングにご参加くださっている方々であれば、「うん、うん!」とうなずいてくださいますよね。

今週からまたインストラクター養成講座が始まります。
講師を目指している方々、ぜひ受講生の方に頭・体・心の元気にも作用するヱクササイズやポイントレッスンを教えて差し上げてください。

勉強会あたりでまたこのような話題も取り上げましょう。
(2018年5月10日)

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本年は年初より天候が定まりませんでしたね。
そのような中で親類関係のお悔やみごと等あれこれが多々あり、落ち着かない日々を過ごしてまいりました。
気が付いたらもう半年経とうとしているのですよね。
年齢を重ねると共に月日の経つのが早く感じられる・・・と良く聞きますが、楽しいことを重ねた結果・・と行きたいものです。

さて、そのような中で、ふと目に留まった広告、「世界一周のクルーズ船の船内見学をしませんか!」
「今の私には縁のないことよ・・」と見過ごしてしまうところですが、応募締め切りが翌日と言うこともあり、さっと電話機を取り上げていました。

行って来ましたァ!
良いお天気の日で、横浜港大さん橋国際客船ターミナルに着くと、久しぶりで見る港と対岸の高層建築を背景に、見事な船が泊まっておりました。

ドキドキしながら桟橋をわたり、乗船口から入ると、まずは綺麗に飾り付けられたホテルのエントランス風のホールが迎えてくれました。
ここで公開キャビンの案内図を渡されて簡単な説明を聞き、さて、何処から見て回りましょう。
上は12階まであり(まさにホテルです)、乗船口は5階だったようですね。
まず5階から8階は様々なランクのお部屋です。
ここが、クルーズ中の生活の基盤になるのですから、皆さんしっかりとチェックしています。熱心にベッドの硬さからシャワー室までチェックしているご夫婦は、もう真剣に旅行計画を立てていらっしゃるのでしょうか。

ちょっとした思い付きで参加した立石は寝室を見て回っても面白くないので、
どのような設備があるのかと上の階にあがっていきました。
様々なバーやカフェ、レストランがあり、ピアノの演奏も聴けます。
劇場の舞台のようなところでは、世界の様々な文化を披露してくださるようです。
船の後方の一角が公園のようになっている階があり、プールで泳いでいるお子さんも本日の見学者?

30分くらいずつ行われている「世界一周クルーズ」の説明会では映像を使いながら、世界各地の名所を案内。
また、船旅で訪れる世界各地の写真や品物、衣装などもブースを設けて展示。
その国の方々が説明をしてくださるのですが、日本語で説明してくださる方もいれば、現地そのままの雰囲気でアピールする方も・・・。
衣装も貸してくださるので、それを羽織っての写真撮影も盛り上っていました。

でも、立石が一番ホッとしたのは、バルコニー風の横長スペースにゆったりとしたソファーが設けられ、そこに腰をおろして対岸の景色をぼんやり眺めていた時でした。

大分前になりますが、仕事関係でお付き合いのあったホテル関係の方が、「高層ホテルが流行ってきていますが、窓からの見晴らしも一番よく、落ち着くのは12階位の所ですよ」といっていらしたのを思い出しました。まさにその眺めですね。

慌しくすごした2時間あまりでしたが、やはり一番印象に残ったのは、対岸の景色や遠くに見える入港・出港する船の姿でしょうか。
世界一周クルーズでそれぞれの港に着いたとき、目に入ってくるのはどのような光景なのでしょう。

いただいたパンフレットにも「3ヶ月かけてゆったりと世界の名所を・・」と企画書が入っていましたが、いつになったらそのような余裕のある時間が取れるかなー・・なんて先日も友人と話したことでした。

でも、船旅は地上旅行より高齢者に向いているとも聞いていますので、
先の楽しみにもしておきましょう。
でも、なんと言っても自由に動き回れるだけの体力は残しておきたいですね。
(2018年6月10日)

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普段の生活の中では意識することもない時の移ろいを、ふと感じる瞬間があったりします。
今月もそんな時だったのでしょうか・・・。
大きな出来事があったわけではないのですが、普段感じない私の中のあれこれに思いが行った事でした。

まず、小学校の運動会がありました。
私には5人の孫がいるのですが、毎年催される運動会はそれぞれの成長振りを見せてくれる催しです。
我が家の最後に控えた3年生、6年生の男子が参加の運動会でしたが、毎日家で見ているときには意識することもない成長の様子を感じながら、なにやら涙も浮かんできたバアちゃんでした。

同じ小学生でも全員が参加しているこのような会場では、差がはっきりと示されますね。
ダンスや全員一緒の競技などは2学年合同で行われるのですが、1,2年生はまだ本当に可愛いです。幼稚園の頃のムードをまだ漂わせている子も?
5,6年生になるとしっかりしていますね。もうすぐ中学生になるのだよ!という頼もしさを示して。

我が家の本棚に飾られているそれぞれの子の写真を改めて眺めると、2、3年で雰囲気が変わっていきますね~。

余談になりますが、今年は会場正面に設置されている敬老席に座りました。
私もそれだけ時を重ねたということなのですね。

次の刺激はこのような出来事でした。
近くに住んでいる中学生の孫から「ひいおじいちゃんの歌舞伎の資料をまた貸してください」との依頼がありました。
彼女は昨年英語のスピーチ大会で歌舞伎の説明をして、賞をもらったのです。
今回は其の時のことがきっかけだったのでしょうか、アメリカから視察団が来るので、歌舞伎に関して解説をするように・・という指示があったらしいのです。
どのような場面があったのか、まだ報告は来ませんが、30数年前に亡くなっているひいおじいちゃん(私の父)は、重要無形文化財の保持者として認定証も受けている歌舞伎の狂言作者でした。
私も幼い頃から様々な演目を観る機会があり、花道に通じる舞台下の通路で、あの光源氏姿の海老様とすれちがって感動した一瞬なども懐かしい思い出です。

ひいおじいちゃん!
残された様々な資料を曾孫が活用している様子をうれしく眺めていますか?

さて、先日はこんな事もありました。
講座などでいつも使用している白金台教室の持ち主は古くからの仕事仲間です。
先日決算のことなどで伺いたいことがあり、講座の後、控え室で二人きりでお話したのです。
用件はすぐに済んだのですが、なぜか話題は昔話に進んでいきました。
立石は現在フェイスストレッチング分野に集中した仕事をしていますが、よく冗談などで言われるように「元カラリスト」です。
この家主さんはそのパーソナルカラー初期の頃、指導をしてくださった先輩でもあるのです。
その後、5人の仲間としてスタジオHOWを立ち上げ、ご一緒に様々な仕事もしてまいりました。

普段の仕事関係ではこのような昔話に話が進むことはないのですが、つい先日JPCAの総会にご一緒したと言うこともあったからでしょうか、自然に話も過去に遡り・・・。古くからのお付き合いに甘えるような気分で、あの頃の思い出話をしたことでした。

慌しい毎日の中で、久しぶりに時の移ろいに意識がさまよった立石の6月でした。
(2018年7月10日)

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“ おどま盆ぎり盆ぎり 盆から先ゃおらんど 盆が早よ来りゃ 早よもどる・・・・“
タキシード姿の立派な体格の歌い手がバリトンの響きで謡いだすと客席全体が飲み込まれていきます。

熱中症注意報の出ていた暑い日でしたが、浜離宮朝日ホールで行われたSHUNSUKE IMAI『 BARITON RECITAL 』に行って来ました。
二期会のオペラ歌手としても、音大出の混声コーラスグループ「フォレスタ」のメンバーとしても活躍している今井俊輔氏。
私は以前から彼の大ファンなのです。

(画像:プログラム表紙より)

第1部は有名な歌劇の中から私達もなじみのあるアリアなどを4曲、と「竹田の子守唄」「五木の子守唄」「島原地方の子守唄」の組み合わせでした。
子守唄といっても、可愛い赤ちゃんを寝かしつける穏やかな優しい唄ではなく、それぞれにつらい背景を持った民謡です。(「島原地方・・」は新民謡 ?)
冒頭に掲げた「五木の子守唄」も恵まれない子守娘の哀歌ですよね。

第2部は組曲「日本の笛」。ある作曲家が北原白秋の詩集の中から21編を選び出し、「ここにこそ本当の日本民族の「魂のふるさとを」を見出すことが出来る」との熱意をこめて構成したとのこと。
「・・・わが国土の北から南へと広がる豊かな民族の詩であり、私達の祖先が生活したそれぞれの土地の気候、風土、人情がいきいきと描き出された珠玉の名作で・・・」と白秋の詩集の解説にあるように、曲もすべて民謡調です。

これらをあの体中に響くような調べで会場中に投げかけていくのです。
とくに第2部の21曲続けての流れは見事でした。

ピアノの伴奏だけをバックに、タキシード姿でバリトンの響きの中に観客を誘い込み、各地方を背景に持った民謡を組曲として謳い上げて行く30分ほどの高揚時間・・・。
想像がつきますか?
客席は完全に酔いしれておりました。

最後に、大きなアンコール拍手のなかで、彼がサービスとして追加したのは下記の3曲でした。
「荒城の月」 「海ゆかば」 「Largo al factotum(セビリアの理髪師より)」

叙情性のある日本の名曲、ある時代をしのばせる唄、観客の胸をくすぐるようなコメディオペラの冒頭・・・。彼のスター性を充分納得させる選曲ですね。

おたおたした上記文章でもわかるように、言葉ではとても説明しきれない魅力的なコンサートでした。
またの機会に、ぜひその中に身をおきたい・・・! と、願ったことでした。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

さて、そのように酔いしれた時間を思い出しながら、非常に現実的なご提案です。
歌を歌うとき、どのあたりの筋肉を使うか想像がつきますか?
ご自分で歌ってみても、あれこれ想像できると思いますが、
ここで、たまにはヱクササイズを行ってみましょうか。
皆様の日常生活にも必要な筋肉を3ヶ程。

小頬骨筋のエクササイズ
~頬を挙げて余裕のある声を出しましょう~

① 右側だけ口角を上げ、右目を閉じる 5秒
② そのままで            5秒
③ 自然の表情にもどす        5秒
④ 左側も同様に行う         5秒
(3回繰り返します)

口輪筋のエクササイズ
~口の周りをしっかりと動かしましょう~

① 唇をすぼめて前方に突き出す    3秒
② そのままで            5秒
③ すぼめた口を元にもどし、
 歯を巻き込んで外側いっぱいに引く 5秒
④ そのままで            5秒
⑤ 自然の表情にもどす        5秒
(3回繰り返します)

顎舌骨筋のエクササイズ
~気道をふさがないように舌をしっかりと支えてくださいね~

① 背筋を伸ばし、ゆっくり天井を仰ぐ 5秒
② 舌を垂直に出来る限り出す     5秒
③ そのままで            5秒
④ 舌を引っ込める          5秒
⑤ 自然の状態にもどす        5秒
(3回繰り返します)

(2018年8月12日)

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本当に暑い8月でしたね。
8月と聞くと、毎年様々な想いがよぎるのですが、今年は特に忘れられない年になりそうです。

まず、平成最後の「終戦記念日」がありました。
戦没者追悼式が武道館で、天皇・皇后両陛下ご列席の元に開かれました。
宗教・歴史・政治にまったく関わりのない会場での開催に、靖国神社の微妙な立場をふと思ったことでした。
(“戦没者の慰霊”と聞くと、靖国神社をイメージしてしまうのですが・・)
学徒出陣という切ない言葉も思い出されて来ます。
広島・長崎の原爆投下という悲劇があったのも8月ですね。
第2次世界大戦中に生まれ、疎開生活なども味わってきた身には、あれこれ思い出される時期でした。

例年のようにふるさとへ帰省された方々は、お盆をどのように過ごされたでしょうか。

各地での花火大会や、京都五山の送り火、甲子園での全国高校野球第100回記念大会と言う華やかな話題もありました。


また、今年は例年にない暑さだったので、7月の豪雨被害を受けた西日本では、気候の厳しさや台風の影響で、地域の方もボランティアの方も大変だったことでしょう。

ボランティアの方がイメージされたところで、本当にうれしかった話題をひとつ、最後に挙げて置きます。
山口県周防大島町で行方不明になっていた2歳の男の子が、山の中で3日3晩を過ごし、無事に保護されたとのニュース。
この子を見つけて保護してくださったのは、人命救助などのボランティアとして全国的に活動をしている78歳のおじいさんです。
ここでも積極的に捜査に参加して、山中を歩きながら一生懸命呼びかけをしていたのですが、沢の傍で呼びかけたときに「おいちゃん・・、ここ!」との声が聞こえたとの事。
うれしかったでしょうね!
そして、本当に有難うございました。
孫のいる立場として、涙が出てきてしまいました。

今年もいろいろと話題のある年でしたが、この子達が大人になる頃には、穏やかにご先祖様に手を合わせられる8月であってほしいですね。
(2018年9月5日)

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久しぶりで日本顔学会大会(フォーラム顔学2018)にいってきました。
会場は明治大学中野キャンパス、立石にとっては初めての会場でした。

今回の大会テーマは『顔はインタラクション』ということで、口頭発表でも何人かの講師によって講義が行われましたが、立石にはちょっと理解しにくかったですね。
続いて行われた口頭発表は『似顔絵・盛り顔・笑顔』とのタイトルで、これは立石にも充分理解でき、なかなか面白かったです。
「大学で実践する似顔絵の授業の紹介」「似顔絵捜査において捜査官に求められる技術」「江戸初期は笑顔のまがりかど」「画像処理の“ 盛れる“性能評価に関する研究」・・との各講師のテーマを拝見しても興味深いですよね。

大ホールでのこのような講演とは別に、それぞれの小部屋でも展示や、ポスター発表が行われて参加者を楽しませていました。

最近、顔学会のニューズレターなどでも「若手交流会」の活動がよく取り上げられていますが、14期の牛山園子さんも副会長として今回の大会でも忙しく働いて、デモ発表なども見せていただきました。
「あなたの顔は縄文顔?弥生顔?」とのデータ収集にもお付き合いさせていただきましたが、どのような結果がでてくるのかな?

そうそう、大会の会場で配られたチラシの中に「表情筋・咀しゃく筋モデル」と言う顔模型のご案内がありました。
顔の筋肉が立体的に作られ、各パーツに分解できるのです。
私達の分野の基本を担っているのは顔の筋肉ですので、勉強会や養成講座でもよい資料になるのでは・・とスタッフ達と相談して一台購入いたしました。
皮膚の下に隠れている部分を実際に手にとって見られるわけですので、ヱクササイズの時に動かしている筋肉のイメージもわいてきます。
見方によってはちょっとグロテスクではありますが、ぜひ皆様も機会があったら教室に来てご覧になってください。(ワー・・なんて声が上るかな?)
(2018年10月10日)

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先日、片付け物をしながらふとテレビの方を見たら、「亀はなぜ長生きなのか?」
と言う話題を取り上げていました。

そこでふと思い出したのですが、受講生の方々にヱクササイズのご指導をする時、口輪筋あたりで「一生にする呼吸の回数は象も鼠も人間も同じなのですよ」などという話題をチラリと入れていた頃がありました。
多分生物学者の方が一般の方向けにお書きになった「ゾウの時間ネズミの時間」と言うベストセラーの中から引用させていただいたのではなかったかしら。
20年以上前に出版された書籍で、内容もよく覚えていないのですが、ゆっくりと呼吸をするか、せかせかと呼吸をするかで、寿命が違ってきますので、ゆったりと呼吸をすることを心がけましょう。・・というような表情筋運動に関わる話の前置きとして立石は使ったのだと思います。

学術的にしっかりと知識を持って話したわけではありませんが、今回の亀の話を伺うと、それぞれの生物によって脈拍も異なり、脈が速いと長生きが出来ないということにつながるのでしょうか・・?
このように単純なことのみではないと思いますし、医学的な対応が進んできている現代ですので、人間の寿命にはそのあたりが大きく絡んでいますよね。
ご興味のある方調べてみてください。

これも今ちょっと思い出したのですが、昨年他界した母は104歳でしたが、
長い間長唄や小唄に関わり、敬老会に入ってからも皆さんと一緒の歌唱会に参加していました。
床に就くようになってしまってからの様子を見ても、呼吸はゆったりとしていましたし、話す言葉も聞きやすかったですね。
この辺りも関係があるのかしら?

私達も講師として人前に立って話をする時は、姿勢も正し、ゆったりと呼吸をしながら対応しますよね。
このような面からも健康にも関わる仕事かな?  ・・・・我田引水でした。

なんだか説得力のない今回のコラムですね。

こんな具合に頭の中がゴチャゴチャになっているときに、ふと窓の外に綺麗なお月様が見えました。
そう、十三夜だったのですね。

このような想いで月を見るのは「日本思想」?・・などと先日HC塾で原島教授から伺った「日本思想と西洋思想の違いは?」という学術的な話題を思い出し、また頭の中がゴチャゴチャになった立石の秋の一夜でした。
(2018年11月11日)

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あれこれと公私共に忙しい11月でしたが、何十年も前の記憶も呼び戻された11月でもありました。

まず、大学時代の先輩が代表を務めているオフイスから「出版記念パーティー」の案内が届きました。
残念ながら、他に予定が入っており、出席することはかなわなかったのですが、その出版物は早速取り寄せました。
「時の過ぎ行くままに」とのタイトルが記載されたその本は、大学に入って演劇関係に手を染めて、その後テレビ興隆期の放送現場へ、そして映画会社の社長に就任。映画プロデューサーとして活躍を続け、日本映画大学の設立・・という彼の何十年間かが、エッセイや対談で楽しくまとめられているようです。
映画やテレビ番組のタイトルも「ああ、これも彼のプロデュースなのね!」とびっくり。
映画やテレビの現場などは、私の理解できる世界ではありませんが、なんと言っても初期の頃の記載や写真を見て、私の古い記憶がよみがえってきたことでした。

正門も設けないという自由な雰囲気の大学でしたが、校舎の裏手に学生劇団の部室や稽古場が並んでいました。そこの3番目に位置する劇団「こだま」でご一緒に活動をさせていただいたのです。私は2年ほど後輩でした。
「阿Q正伝」「狼生きろ豚は死ね」「島」・・・。一緒の舞台写真もアルバムに残っておりますが、それぞれ仲間たちが役者・演出・大道具・小道具・照明・・と分担し合い、ドサ周り(地方公演)も何度か行ないました。
高名な先生方の様々な授業よりもよほど私の体の中に埋め込まれた大学生活でした。
・・・・普段の生活の中では、ここまであれこれ思い出すこともない世界に私を引っ張りこんだこの書籍でした。
先輩にお目にかかる機会もあるかなーーー。

もうひとつ、このパーティーのあった週に、10月に他界した義兄の四十九日の法要があり、古河まで行ってきたのです。
本堂での納経の後、裏手にあるお墓へ納骨。
天寿を全う・・という年齢でしたが、やはり涙がわいてきますね。
法要の後は義兄の好きだった鰻屋さんで、家族と親戚関係で食事をしました。
内々の会合なので、故人を偲ぶ話題や資料が見せられ、古い写真を何枚か貼ったパネルもまわされてきました。
この写真は主人の父親でもあるおじいちゃんを中心に、仏様の兄弟達、その子どもや甥・姪たちの幼い頃の写真です。
十数年前に他界した主人も兄弟達も若々しいことです。
そして、我が家の子供達も甥・姪たちも可愛らしいことです。
けっこう剣道がはやったお家柄でしょうか、剣道着や試合での写真も・・・。
三十数年くらい前の姿ですねー。本人達を交えてその頃の話題で盛り上がったことでした。

もうひとつ11月に関係のあることを思い出しました。
先日三島由紀夫の紀行文集が出版されたということで、つい書店に寄ってしまいました。
あのショッキングな事件のあったのも11月ですね。
劇的な自分の人生をあのような形で演出した作家の作品を、夢中になって読みふけったのは中学生の頃なのです。
理解できていたかどうかわからないのですが、サイン会で有名な小説「禁色」にサインをいただいて、友人達に見せびらかしたのを思い出します。
生意気な中学生だったのですね。

慌しい年末が控えているというのに、いつもより長々と書いてしまいました。「思い出さん 今日は・・・」(島倉千代子唄)と言う境地の立石でしょうか。
(2018年12月10日)

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あけましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします

私たちの新年行事にきってもきれないのは年賀状。 皆様もいのしし君の絵柄のはがきを交換なさったでしょうか。

「ことしは“何年(ナニドシ)ね!”」というのは皆様ご存知の干支のことですが、時刻や方角などを示すのにも使われる十二支の動物君たちが毎年登場します。
もともとは中国から入ってきた知識ですが、日本に入って来たときは「戌」の次は「亥」ではなかったってご存知ですか?
「豚」だったのだそうです。
ところがその頃、日本には豚が存在しなかったため、似た動物の「亥」に決めたのだとか・・・。
皆様はどちらがお好きでしょう。
いただいた賀状の猪君のそばに豚君の絵を並べてみたりした立石でした。

さて、昨年末から年初にかけてのもっとも大きな話題の中にいらしたのは天皇陛下です。
年末に平成最後の天皇誕生日があり、一般参賀の人達の数は平成最多だったとか。また、年頭の一般参賀も15万人超で、お出ましの回数も増やされたようですね。
テレビでも天皇陛下としての長い年月が取り上げられておりました。
ベランダで述べられたお言葉も拝聴いたしましたが、天皇陛下というお立場も大変なのですね。
美智子皇后様とのご成婚の時の祝賀パレードは今でも目に焼きついています。
60年も前のことで、テレビで拝見しただけですが、皇太子殿下(その頃はまだ)と四頭立ての馬車に並んでお座りになった美智子様は本当にお綺麗でした。

五月に新しい天皇・皇后になられる皇太子ご夫妻も、国のために、国民のために、お力を尽くされることでしょう。

どのような年号がつくのか・・ワクワクしておりますが、平和な年月が続いて行くように、私達も尽力いたしましょう。
(2019年1月5日)

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今月はなんと言っても節分ですね。
冬から春への分かれ目(立春)の前日に豆をまき、恵方巻きを食べましたか?
豆をまくのは季節の変わり目の邪気(鬼)を追い払う儀式。
そして恵方巻きを食べるのは、恵方(歳徳神のいる方角)に向かって無病息災や商売繁盛の運を一気にいただきましょう・・と言う習慣です。
ですから、一気にいただくというのは運を逃さないように・・と言う想いがこもっています。
ちなみに今年の恵方は東北東です。

そして、“無言で笑顔で頬張る”と、ご利益があるのだという大切な教えを聞いていらっしゃいますか?
うーん、解るような気がしますよねー。

その様な目的を密かに秘めて、1月のワンデーセミナーはその大切な笑顔のためのレッスンを組みました。
熱心に受けられた方は一層ご利益が感じられたことでしょう。

それにあやかって、久しぶりで笑顔に関わるEXをここで取り上げてみましょう。
恵方巻きを食べている時だけでなく、笑顔は様々な面のご利益があることは皆様も認識していらっしゃいますよね。

では、ヱクササイズに入ります。
頬と口元のヱクササイズです。

小頬骨筋のエクササイズ

① 右側だけ口角を上げ、右目を閉じる 5秒
② そのままで            5秒
③ 自然の表情にもどす        5秒
④ 左側も同様に行う         5秒
(3回繰り返します)

大頬骨筋のエクササイズ

① 口を大きく開ける         5秒
② 口角を上に引き上げる       5秒
③ そのままで            5秒
④ 自然の表情にもどす        5秒
(3回繰り返します)

笑筋のエクササイズ

① 口を軽く閉じ、口角を外側に引く  5秒
② そのままで            5秒
③ 自然の表情にもどす        5秒
(3回繰り返します)



勿論、この筋肉だけでなく、お顔のほかの筋肉も絡むのだということはご承知の通りです。

そしてより効果を上げるためにストローレッスンも試してみますか。
何処でも大変ご好評をいただいているレッスンです。

ストローレッスン

すてきな笑顔もふだんの訓練から。こんなレッスンもいかがでしょう。
まず、細めのストローを横に軽くくわえてください。
そのまま頬を上げていきます。口角もあがっていきましたね。
これ位が笑顔としてちょうど良いかなと思った所で10秒ほど静止。
頬の筋肉に感触を覚えこませます。
次にストローを使わずに上げてみてください。
口元もゆったり、目も優しく添えて。

(2019年2月6日)

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2月の中旬は何処でも「スーパームーン」の話題で盛り上がっていましたね。メディアでも、お茶を飲みながらの雑談の中でも。

2月19日夕方~20日明け方に出現する月は、2019年最大の満月になるということで、それを見るのを楽しみに、日の変わり目の頃に眠くならないように昼寝をした方もいらしたかしら。

ともかく今年最大の満月を見たいと立石も楽しみにしていたのです。
20日はフェイス部門のスタッフ会があったのですが、会議中に居眠りもありかな、と密かに居直って・・。

ところが、その時間が近付いてくる頃、東京地方は曇り空からパラパラと小雨が落ちてくるような状況で、日付けがかわっても、お月見のためにベランダに出て・・といった風情ではありませんでした。
残念でしたね~。
皆様のところではいかがでしたか?
見事なスーパームーンをご覧になられた運の良い方もいらっしゃいますか?

さて、その「スーパームーン」と言う表現ですが、天文学の正式用語ではないようですね。
NASAの研究所では、地球と月の距離が近いときに満月になると、平均的な満月よりも大きく、明るく見えるため、これをスーパームーンと呼ぶとしているようです。
一年の最も大きい満月は、一年で最も小さい満月(2019年は9月14日)に比べて、約14%大きく、最大で約30%ほど明るく見える・・と、ネットのウェザーニュースのページに載っていました。
確かにスーパームーンの貫禄ですよね。

来年はいつなのかしら。来年のスーパームーンを楽しみに!

さて、同じ週に、思わず空を見上げてしまうような、ニュースが入ってきました。
JAXAが2014年に打ち上げた探査機「はやぶさ2」が小惑星リュウグウへの着地に成功したとのニュースが、テレビでも、新聞でも大きく伝えられました。
リュウグウには生命の材料となる水や有機物があると見られ、試料の分析により、太陽系や生命の起源の解明に近付くと期待されている・・と書かれておりました。
とても立石には理解できない内容ですが、何か宇宙に一歩近付いたような気分で新聞の解説を読んだことでした。
弾丸を撃ち込むことによって舞い上がった石や砂が機体内部のカプセルにうまく取り込まれれば、また新たな発見があるのでしょうか。
はやぶさ2君の帰還が待たれますね!

地球もその宇宙の中の星のひとつ?
そしてその星の中で、どこかの国のトップと他の国のトップの話し合いが行なわれている・・・なんだかとても小さな出来事のように思えてしまいますが・・。
話し合いに関わっている方々、・・・宇宙の中のひとつの小さな星、その中のひとつの陸地、その中のひとつの国、その国の組織の中の様々な役目のひとつ、・・を担っているのだと、どうぞ遠くからご自分を眺めてみてください。
頭の中の構成はどのようになって行きますか?

なんだかわけのわからない、締めになりました。

ゆったりと綺麗なお月様を眺めている自分を想像してほっとしましょう。

(2019年3月6日)

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4月1日、新しい元号が決まりました!

「 令和 」(れいわ)

出典は万葉集とのこと。今までは中国の古典の中からの出典だったのですが、今回は国書からの出典なのですね。

初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、 蘭は珮後の香を薫らす

発表予定時間の30分も前から、ドキドキしながらテレビの前に座っておりましたが、この万葉集「梅花の歌」序文に語られているような世界になって欲しいという願いがあってのことなのでしょう。

なんと言っても今年の一番大きな話題ですよね。
しばらくは様々なニュースとして私達の目に、耳に、入ってくることでしょう。
これからの退位・即位に関しても、普段は触れることもない荘厳・優雅な儀式を拝見できるのも楽しみです。(テレビの画面からですが・・)

しかしそのような喜ばしい話題の裏で、忘れてはならない過去の大きな出来事が新聞やテレビで取り上げられていた3月中頃でした。

「東日本大震災から8年」
主人の転勤で、仙台でしばらく暮らしていたことがあるので、東北地方の悲惨な映像を見ると胸が痛みます。まだまだ復興には時間が掛かりそうですね。
3月11日は風雨の強い朝でしたが、傘の下で海に向かって手を合わせている人の姿も見られました。
私共の近く千葉県でも津波の被害はありましたが、福島では原発事故の影響の心配もありますね。
浪江町の亡き町長の苦悩の挨拶も思い出されます。
つらい経験をした子供達も、平穏な日常生活では学べなかったことを学んだことでしょう。
地域のこれから、そしてご自分の将来にも生かしてくださいね。
広範囲にわたる停電の暗闇の中で見えた星空の印象が忘れられない、という話も耳に残りました。

まもなく退位される天皇・皇后両陛下も被災地をたびたび訪れてお見舞いのお言葉をかけられていました。即位される皇太子殿下共々、これからも心から復興を願っておいでになることでしょう。

そうです。
もう一件、前日の10日は「東京大空襲から74年」と言う節目で、墨田区の東京都慰霊堂で法要が営まれました。
この悲惨な思い出もいまだに忘れられずに、法要にご出席なさった方も多かったのではないでしょうか。
私の親類関係でも、当時菊川町に住んでいた叔母夫婦が、この空襲に巻き込まれて命を落としました。
私は千葉の田舎に疎開中でしたが、東京の空のほうでパラパラと焼夷弾が落ちているのを見ていたことが思い出されます。

震災は人間の手で防ぐことは不可能です。
発生した時への備えを心掛けるだけです。

しかし、戦争は人間同士で行なうことです。
そのような心配のない、皆が心を寄せ合う世の中にしていきたいですね。
「令和」の文字をくださったこの文言のように・・・。


いろいろと思い起こすことが多く、肩に力の入ってしまった皆様、
少しほぐして楽にしてあげましょう。

広頸筋のエクササイズ

① 背筋を伸ばし、ゆっくり天井をあおぐ 5秒
② 下唇と下あごを押し出す       5秒
③ そのままで             5秒
④ 自然の状態にもどす         5秒
(3回繰り返します)

胸鎖乳突筋のエクササイズ

① 首を右いっぱいに回す   3秒
② そのままで        5秒
③ 左いっぱいに回す     5秒
④ そのままで        5秒
⑤ 自然の状態にもどす    5秒
(3回繰り返します)

二腹筋のエクササイズ

① 背筋を伸ばし、ゆっくり天井をあおぐ 5秒
② 口を大きく開ける          5秒
③ そのままで             5秒
④ 上を向いたままで口を閉じる     5秒
⑤ 自然の状態にもどす         5秒
(3回繰り返します)

(2019年4月10日)

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中高時代の友人が主催している「江戸東京歴史散歩」が年に2,3回行なわれるのですが、今回も参加してまいりました。
今回は『深大寺周辺を歩く』です。

深大寺という名称は皆様もお耳にはしていらっしゃると思いますが、どのようなところかご存知ですか。
私も何十年か前に行ったことがあるのですが、どのようなところか覚えていないのです。
お寺様というより観光名所のひとつになっているのでしょうか、主要駅よりのバスの本数も多く、境内を歩いている方も、お参りというより見学集団のような方々や外国人の姿も多く見られました。
又、参道脇の所でキャンバスに向かって絵を書いている方も。

私達も見学者として(観光客ではありませんが)、いつもいろいろとご説明くださる先生の資料を見ながら拝見してまいりました。

「深大寺は奈良時代の天平5年(733)に満功(まんくう)上人が創建したと伝えられ、都内では浅草寺(628年創建)に次ぐ古刹といわれている。」という書き出しから始まった解説には、「はるかに海を越えてやってきた若者と地元の長者の娘との恋物語が深大寺開創の伝説であり、深大寺と言う名前の由来でもある・・・」と、お寺としては大変色っぽい伝承が書かれておりました。

由来を書くと長くなりますので省きますが、本尊は本堂に安置されている「木造阿弥陀如来坐像」(市指定文化財)で、あの恵心僧都の作といわれています。

優れた建造物であるといわれている「茅葺の山門」をくぐって入り、「鐘楼」・「条香楼」「本堂」「釈迦堂」「元三大師堂」「開山堂」「深沙堂」と巡って拝観してまいりました。
少々残念だったのは、ほとんどの仏様が暗い堂内に設置されており、網戸やガラス戸越し、または隙間から、覗き見てきましたので、はっきりと鑑賞・・・とはいかなかったのです。
ここは美術館ではないのですから、仏様のお立場から言えば当然なのでしょうけれど・・・。

さて、今回参加したもうひとつの大きな理由は「深大寺のお蕎麦を食べてこよう!!」ということだったので、当然、目的を果たしてまいりました。
門前の参道には友人が探しておいてくれた有名なお蕎麦屋さんがあり、仲間たちと「てんもり」を味わってきました。
お蕎麦も当然おいしかったですし、てんぷらも主役の蕎麦を引き立ててくれました。
バス停のそばには「そば守観音」が鎮座しておりました。右手にそばつゆの徳利、左手にそば玉かそばの実を持っているように見えるこの愛らしい観音様は、
お客様を呼び寄せる観光親善大使かな?
秋には「深大寺そば祭り」が行なわれるようですね。

満足したお腹を抱えて、神代水生植物園、深大寺城跡、祇園寺と回り、「板垣死すとも自由は死せず」という文言で有名な板垣退助によって植えられた二本の赤松が、「自由の松」と称されて天高く聳え立っているのを眺めて、今回の歴史めぐりは終わりました。


御堂の前で手を合わせると、凡人の私でもやはり有難い気持ちになるのは不思議だな・・と言うようなことについても・・・、
同じ日のテレビ番組で「熊野詣」(神仏融合の聖地)が取り上げられており、法王や上皇が何十回も参拝したという話題も・・・、
数日前にノートルダム大聖堂の大火災という衝撃的な出来事があったことについても・・・、
触れたいと思いながら、手をつけられませんでした。
機会があったらまた・・・。
(2019年5月10日)

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「都の西北 早稲田の森に 聳ゆる甍は われらが母校・・・」
一次会の締めでは、必ずこの歌声が響き渡ります。
二年毎に開催される国文科の同期会、「いらか会」です。

今回は母校の校友会館タワーにあるレストランが会場でした。
30数名が集まり,一次会はまずおいしい料理をいただきながらの近況報告。
様々な話題が登場し、当然、老いの話も加わってきますが、みんな元気です。

15階の見晴らしの良い窓から母校全景を眺めていると、あの頃が思い出されます。
緊張した入学式の舞台となった大隈講堂。
いろいろな展覧会などを、今でも楽しませてくれる演劇博物館。私の入学が決まった時、父の知り合いの教授が校内を案内してくださったのですが、一番初めに連れて行ってくださったのもここでした。

21号館裏の部室や稽古場・・・。穴八幡。高田牧舎・・・。
数え上げれば限がありませんが、先日少々残念なことがありました。
誰もがお腹を満たしに行ったことのある「三朝庵」と言うお蕎麦屋さんの前を通ると、「ながい間、お世話になりました・・・」というような張り紙がしてあったのです。100年以上続いた歴史に幕を下ろしたのですね。
「・・・そういえば、お蕎麦もだけれど、カツ丼がおいしかったね!」との共通の思い出話に盛り上がったことでした。

先日のHC塾で原島教授がこんなことを教えてくれました。
天台宗の僧侶でもあり、小説家、参議院議員でもあった“今東光”がこのようなことを書いている、と。
 「 人生は冥土までのひまつぶしや
   上等なひまつぶしをしよう     」
本当に、ここで過ごした4年間、上等な楽しい“ひまつぶし”をさせていただきました。
そして、一緒にひまつぶしをした仲間たちと、60年近く経った今も、こうしてうれしいひまつぶしをさせてもらっている事に涙が出そうでした。

母校にも、仲間たちにも、周辺のお店にも、感謝の想いで一杯になった一日でした。
(2019年6月10日)

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息子の家の近くにある親水公園に鴨の親子が住みついて、近所の話題になっていると、お嫁ちゃんから写真付のメールが送られてきました。
水路の中なので、はっきりとは確認できないのですが、私も実物を見てみたくなって覗きに行ってきました。
残念なことに、子鴨達はそろって草むらにもぐりこんでいて、様子を見ることは出来ませんでした。しかし、立派な親鴨(お母さん?)が傍の岩の上に座り込んで監視の目を光らせていました。

2週間ほどして、また覗きにいったときには、子鴨たちも立派に成長し、見物人達が投げ与えるパンなどを競い合って食べていました。
子鴨は全部で9羽と数えることが出来ました。

そしてまた一週間後、「どの位また成長したかな?」と見に行った時には、残念ながら姿を見ることは出来ませんでした。
そばのベンチに座っていたおじさんが「大分大きくなって、草むらの奥のほうにたむろしているよ」と教えてくれました。
お嫁ちゃんから送られてきた写真にも、立派に大きくなった姿が写っていました。

そしてまた一週間後、「飛び立ってしまわないうちにぜひもう一度・・」と駆けつけたら、小さい頃よりずっと下流の方に移動していましたが、近くに寄って見ることが出来ました!
まだ、親鴨共々10羽そろって行動していましたが、親鴨・子鴨の見分けが付かないくらいに大きく成長していて、「あそこにいるのがお母さんかな?」などと同行人と話しあったことでした。

この後、彼らはどこかへ飛んでいってしまうのでしょうか。
それとも、ここでそれぞれ独立した生活を送るのでしょうか。

もう一度位会うことが出来るかなー。

子鴨の急成長が見られた頃、我が家最後の小学生の運動会があったのです。
我が家の末っ子は、年齢にしては小柄なほうですが、頑張って綱引きも大玉ころがしも・・。
この後何度くらいこの様な光景が見られるのかな・・と、感慨にふけったことでした。

子鴨君も、僕も、頑張って、立派な成長ぶりを見せてくださいね!
(2019年7月10日)

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5月に始めた時には、「3ヶ月12回・・」と長いように感じられた方もいらしたかもしれませんが、進めてしまえば、あっという間でしたね。
今回もまた、大変楽しい方々がお集まりでした。

最終日は修了証をお渡しした後、スタジオの向かい側にある高級中華料理“白金亭”で恒例の修了食事会です。
おいしいご馳走を頂きながら、楽しい話がたくさん登場しました。
皆様お仕事持ちで、その仕事に生かしたいと言うお話も・・。
美容講師をしている方、フットケアに携わっている方、先生の経験をお持ちの方・・・。
今後どのように進めていらっしゃるのでしょうね。

いつもの慣例ですが、最終日の午前中は厳しい「エクササイズチェック」です。
しっかりと学んでこられましたが、やはり少々不安定な部分も・・。
今後修了生の勉強会などに参加しながらしっかりと身につけていかれるでしょう。

どなたにとっても苦手なエクササイズってありますよね。
また、やさしいように見えながらポイントが捉えにくいエクササイズも・・・。
皆様にとってはいかがですか?

普段はあまり気にかけないで行っているエクササイズを、ここでいくつか取り出してみましょうか。

眼輪筋・眼窩部

張りのある目元に(はれぼったい瞼の解消)

    ① 軽く目を閉じる         3秒
    ② 少し強く閉じる         3秒
    ③ さらに強く絞り込む       3秒
    ④ そのままで           5秒
    ⑤ 自然の表情にもどす       5秒
    (3回繰り返します)

<エクササイズのポイント>
「さらに強く絞り込む」の部分では、眉間に力を入れて絞り込まないように(力の入りやすい場所なので)、上下の瞼を押し合うように絞り込んでください。

上唇挙筋

頬のシェイプアップ(頬のたるみを押さえ引き締める)

    ① 頬の上部を引き上げ、上唇も鼻に
      付くくらい引き上げる       5秒
    ② そのままで            5秒
    ③ 自然の表情にもどす        5秒
    (3回繰り返します)

<エクササイズのポイント>
「頬の上部を引き上げ、上唇を鼻に付くくらい引き上げる」と書いてありますが、微妙な場所の筋肉ですので、筋肉の場所をキチンと意識して行ってください。

笑 筋

口元を美しく(口元から頬にかかるふくらみの解消)

    ① 口を軽く閉じ、口角を外側に引く 5秒
    ② そのままで           5秒
    ③ 自然の表情にもどす       5秒
    (3回繰り返します)

<エクササイズのポイント>
単純なヱクササイズですが、「口を軽く閉じ・・」というところでは上下の歯を合わせてください。私達の歯は基本的には上の歯の方が少し前に出ています。上下の歯を合わせることで真横に引く力が入ります。

今どこの筋肉に効かせたいか、感覚がありましたか。
他の部分に余計な力が入ってしまわないように気をつけて。
繰り返し行って、しっかりとした感触を身につけてください。
せっかくいろいろな効果のあるヱクササイズを行うのですから・・。

他のヱクササイズも目的を確認しながら行ってくださいね。
(2019年8月10日)

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このコラムが皆様の目に触れる頃には9月に入っているかと思いますが、8月と言う月は、どうしても70年ほど前を意識してしまう月なのです。

広島・長崎の原爆記念日。 新聞や雑誌で写真が大きく取り上げられていましたが、つらい光景ですね。
テレビでも引揚者の情報を写しながら、戦時中の歌をあれこれ流しておりました。

ロイドめがねに燕尾服、直立不動で歌う東海林太郎の「国境の町」から始まり、続いて「麦と兵隊」も・・・。
また、必ず登場するのが・・・「岸壁の母」。胸を打たれる切ない唄ですよね。

そして、終戦記念日・・・。
戦没者追悼式の時間になると、自然に、黙祷をする気持ちになります。

私にとっても、東京を離れた小学校低学年までの疎開地での生活、その断片的な思い出がいろいろと浮かんできます。

旧のお盆を迎え、少々離れた田舎にある母の実家のお墓参りに行くと、普段はあまり意識しない叔父達のことも・・・・・。
母の弟はシベリア抑留の経験者なのです。
復員後10年くらい経って、世の中も少々落ち着いてきたころ、叔父も家庭を持ち、私達の家の近くで暮らしていました。

その頃、私は演劇に興味があり、戯曲を書きたいとの願いも持っていたのです。
戦争の悲惨さを僅かに知っている年代として、ぜひ叔父達のシベリア抑留をテーマにした作品を作り上げたいと、叔父にあれこれと尋ねたのですが、話してくれませんでした。
収容所の中で監視人から「Die ! Die!」・・・と、いつも言われていたと、チラリと話題として出したことがあった位でしたでしょうか。
当時のことはあまり話したくなかったのであろうと、今になればよく理解できます。

ひと頃、友人達と「疎開を知らない子供時代、安保闘争を知らない学生時代を過ごした人とは、同じ机で向きあっての話は出来ないよねー。」などと冗談を言っていた頃がありましたが、冗談ではなく、もっともっと過酷な体験をした方々は大勢いらっしゃるのですよね。

そう、日航機が御巣鷹の尾根に墜落したのも8月でした。

そのようなあれこれに想いを運んでくれた8月なのでした。
(2019年9月6日)

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絵画{ 睡蓮 }・・・
ブロンズ像{ 考える人 }・・。
大概の方は「あ!これ知っている」とうなずきますよね。
国立西洋美術館の開館60周年記念展覧会が、上野の山で開催され、友人と行ってきました。
上記のように誰もがしっている作品も展示され、うれしく眺めてまいりました。

『 松方コレクション展 』と名付けられた展覧会だったのです。絵画集などでよく目にする有名な作品郡が並んでいました。
ルノアール{帽子の女} ゴッホ{アルルの寝室} マネ{自画像} 等々。

これらはすべて松方幸次郎が集めた物なのだそうですが、改めて「へー!」と思ったことでした。

松方幸次郎をご存知ですか?
神戸の川崎造船所(現川崎重工株式会社)を率いて、第1時世界大戦を背景に事業の拡大をはかり、ロンドンやパリで美術品を買い集めたとのこと。
(少々書き添えておくなら、川崎重工は亡夫の勤務先でした)

10年ほどかけて、モネ、ゴーガン、ゴッホ、ロダンなどの西洋美術の作品を集め、“日本人のために美術館を作りたい!”との思いで突き進んだそうです。
しかし、その後世情の流れの中で経営破綻に陥り、コレクションも流転の運命をたどりました。

日本で売り裁かれた物もあり、ヨーロッパで消失した物、第2次世界大戦でフランス政府に接収された物・・・など。
様々な運命をたどってきましたが、戦後フランス政府から多くの作品が返還され、1959年に上野に国立西洋美術館ができたことをきっかけに、松方コレクションの落ち着き先はしっかりと決まったようです。

ここへ落ち着くまでには、さぞ多くの方々のご尽力があったのでしょうね。
2016年に再発見されたモネの巨大な絵画{睡蓮、柳の反映}も1年にわたる修復処置を経て、はじめて披露される貴重な機会になったのだと、美術館ニュースに記されておりました。
元々の作品がどのようなものであったのか・・・、また、この修復にはどの位手が加えられたのか・・・、などとあれこれ考えてしまいますね。

そして、展覧会の作品群に魅了された後、洋食店の椅子にどっしりと座り込み、ナイフとフォークを操りながら「上野の山が身近にあるって、本当に幸せなことよね~」と同行者と話し合ったことでした。

様々な会場での展覧会の思い出、恩賜公園の季節ごとの散策、そして、孫達と動物園に行った時の記憶などもよみがえってきます。

次に上野山に行くのはどのような機会かな?
(2019年10月10日)

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珍しい体験をした10月でした。
今までに無かったような大型の台風19号が関東を直撃するように進んできた週末。
区の広報車が町内をはしり回り、近くを流れる河川の水位の上昇から避難勧告が告げられました。
台風は夜中から明け方には東京を通りすぎるとのことで、一家そろって午後から近くにある廃校になった小学校の体育館に避難しました。

あまり体験したことがないだけに、何を持参したらよいやら、緊急時の持ち出し袋に、とりあえず3食胃を満たすであろうパック詰めご飯と使用中のパンを詰め込んで家を出ました。一緒に移動した孫達はちょっとした遠足気分?

体育館の入り口で区の係りの方から床敷マットと圧縮袋に詰めた毛布を人数分渡されました。

いよいよ避難生活の始まりですね。
早く来た方々は皆様壁際に一家のスペースを確保。
我が家も2箇所に分かれましたが、壁際に落ち着くことが出来ました。
隣のご家族は早くもテーブルを広げ、その上で子供達は勉強?おばあちゃんがお菓子と果物を出して、茶の間の風情です。近くの体育館への避難ですので、顔見知りの方とのうれしそうな挨拶もあり、子供達も友人と出会って楽しく遊び始めました。

大勢の方のおしゃべり、大きな扇風機の騒音・・・と、外の音はまったく聞こえない中ですが・・・・、
さて、台風君は?

20時をすぎる頃から流石に豪風雨と言う騒音が体育館の周りから聞かれ、台風の真只中にいる風情になりました。
体育館の中からでは外を見ることが出来ないので、廊下に出て、広い窓から外を眺めると、木の枝が風にあおられ、雨が地面にたたきつけられています。

うわさ通りの19号君でした。

スマホのネットで調べてみると、19時ごろに伊豆半島に上陸。
接近前から激しい雨が続いていた箱根では、24時間の雨量が19時20分に900mmに達していたと記載されています。
2013年の大島を上回る歴史的な大雨だとも書いてありました。

22時になると体育館の照明もほとんど消され、お休み体制に入りました。
と、言っても眠ると言うような条件下ではありませんが、皆さんそれぞれに横になって目を閉じて・・・。
内部が静かになると外の音の激しさが余計に響きます。

私もウトウトしておりましたが、少々眠ったのでしょうか・・・。
ふと気が付いて目を開けると、体育館の中が閑静になっておりました。
急ぎ退出したご家族も多かったようです。
外の音もあまり聞こえてこないので、廊下に出て外を見ると。
「さっきの景色は何!」という静かな風景でした。

台風君が見事に通過したのですね。
時計を見ると午前3時に近い時間を示しておりました。

我が家も二組に別れ、出られる人だけ先に帰って家の様子をチェックしようと言うことになりました。
しっかりと眠っているチビさん達はお父さんに預け、娘と高校生の孫娘と私とでマットなどを片付けて1階に降りました。
受付には区役所の係りの方が待ち受けていらっしゃったので、マットと毛布をお返しし、お世話になったお礼を言って玄関を出ました。

雨も風も、もうすっかり鳴りを潜めておりました。
我が家の門前に来ると、下水道の上に被せてあったコンクリート製の蓋があちこちに飛んでいたので、これはビックリ!
でも、家の中は空気の入れ替えをする装置からごみの塊が落ちていた程度で特に被害はなく安心しました。

疲れ切った体でとにかくベットに入り、すぐに眠りに・・・・・。

目が覚めたときは快晴!

まるで夢の中だったような一夜の出来事でした。
(記:2019年10月13日 掲載:11月10日)

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義兄の一周忌があり、主人の実家のある茨城県に行ってきました。
兄弟・姉妹・甥・姪他親戚関係が集まり、菩提寺での法要の後は近くの割烹で精進落としの宴会。

二時間あまりの会合を仕切ってくれたのも、集まった親戚の方々のおもてなしに気を配ってくれたのも、次世代の甥達でした。
そう、もう50代に入っているかしら? おじさんの風情ですよね。

私も今回は長男を連れて行きました。このような場での身の振り方も・・と思ったのですが・・・。
彼自身は「そろそろ高齢の母親の面倒を見てやらなければ・・」と車での移動を考えたのでしょうね。
確かに彼も社会的な役職にも就き、今回の宴会でも、普段あまり会う事のない親戚の方々とも上手にコミュニケーションを取っていました。

85歳で亡くなった仏様・義兄は、和歌や書を嗜んでいたので、手元で見られる小ぶりな作品群が遺影の側に並べられていました。
そしてそれらが仏様からのプレゼントとして帰り際に手渡されました。
大切に持ちかえって、リビングルームに飾ってあります。

思い出しました。
大分前になりますが、今回取り仕切ってくださった甥たちに、やはり親戚の法事で会った時のことでした。弟の方が、脳梗塞での入院から戻ったばかりで、リハビリのためにネットを見ながら表情筋の運動をしているのだとの話を聞かされました。
充分納得できた話だったので、家に戻ってから「お役に立つかどうか解りませんが・・・」と立石監修のムック本「フェイスストレッチング」と「COLORMIX」を義兄経由でお送りしたのです。
思い返せば、其の時一緒にいろいろと表情筋の話題等を楽しんだ父親である義兄にお線香を捧げることになった今回の集いだったのですね。

仏様 あの時の表情筋の話を覚えていてくださいましたか?

これからも兄弟姉妹・従兄弟同士、健康に留意しながら、元気に楽しく過ごしてまいりますよ。

さて、懐かしい義兄に思いをはせたところで、仏様とフェイスストレッチング
のエクササイズを楽しんだことを思い出して、久しぶりに皆様とも幾つかやってみましょうか。
あれもこれも・・と申し上げたくなるのですが、お正月に久しぶりにお目にかかる知り合いの方々と笑顔で楽しくお話ができるように・・・。
下記はいかがですか。

小頬骨筋のエクササイズ
~好感度の高い笑顔を作り、フェイスラインを引き締める~

① 右側だけ口角を上げ、右目を閉じる 5秒
② そのままで            5秒
③ 自然の表情にもどす        5秒
④ 左側も同様に行う         5秒
(3回繰り返します)

大頬骨筋のエクササイズ
~好感度の高い笑顔を作り、フェイスラインを引き締める~

① 口を大きく開ける         5秒
② 口角を上に引き上げる       3秒
③ そのままで            5秒
④ 自然の表情にもどす        5秒
(3回繰り返します)

口輪筋のエクササイズ
~はっきりした話し方と美しい口元のために~

① 唇をすぼめて前方に突き出す    3秒
② そのままで            5秒
③ すぼめた口を元にもどし、
  歯を巻き込んで外側いっぱいに引く 5秒
④ そのままで            5秒
⑤ 自然の表情にもどす        5秒
(3回繰り返します)

(2019年12月10日)

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新しい年が始まりました。
皆様よいお年をお迎えになられましたか。
私どもフェイスストレッチング協会もあわただしい年明けになりました。

年末のスタッフ会でもいろいろな話題が登場しました。
修了生の方々に楽しんでいただきたい勉強会のテーマ、
また外部の方々にフェイスストレッチングをご理解いただく為のセミナー計画のあれこれ・・・。
昨年関わらせていただいた外部団体様や外部セミナーの話も・・・。
今年はもっとあれこれ挑戦していきたいですね!
何かご意見があれば、ぜひお寄せください。
皆様と手を携えてフェイスストレッチングの発展を図っていきたいと
スタッフ共々願っております。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2020年1月1日)

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次回【東京オリンピック】まで200日を切りました。
様々な国の方々も日本にいらっしゃるでしょう。
それぞれの国の方々の言葉がキチンと通じます・・・と胸を張れる方がどの位いらっしゃるでしょうか。
言葉が通じなくても、お顔でコミュニケーションが取れるよう・・・。
そのようなこともちょっと考慮をしておきたいですね。

タイトルに掲げました表情筋君は十分コミュニケーションを担うのに力がありそうだと思いませんか。
私たちは普段人と向き合っているとき、自分の顔を意識することなんてあまりありません。
でも、こんなことを思うことも?

自分が美人に見えているかな・・・? 今日のメイクはきれいに仕上がっているかしら・・・。 この明るい日差しの下だとしわが目立ってしまうかな・・・。
特に気になる方と向き合った時は自分の美人度を意識しますよね。
でも、相手の方は皆様がどのように顔で自分を表現しているかで、あなたへの好意を無意識のうちに積み上げていくのではないかしら。
これが私どもの交際の基本ですよね。(もしかしたら恋愛の第一歩?)
顔の構成ではなく、顔の表現でおたがいに無意識の判断をしていくのです。
人と向かい合っているときの自分の顔は見えません。
でも、お互いに相手の顔は目一杯見ているのです。
そして無意識のうちに相手を判断しているのです。

なんだか解かったような、解からないような事をゴチャゴチャと書いてきましたが、コミュニケーションをとるときに必要なのはこの“お顔の表現”なのです。
言葉以上に気持ちを伝えるこのお顔の表現に意識を戻してみましょう。
この表現を担っているのが、「表情筋」と呼ばれるお顔の筋肉なのです。
顔も体と同じようにたくさんの筋肉によって支えられています。
顔面筋と呼ばれ、奥のほうまで意識すると数えきれないほどたくさんありますが、表面近くに有って表情を作っている筋肉を表情筋と呼んでいます。(医学用語ではないのですね)

顔の筋肉は体の筋肉とは異なって、骨から骨へとついているのではなく、骨から皮膚へ、また皮膚から皮膚へとついているので不安定な要素を持っています。
そして一つ一つが小さいのです。(触ってみればわかりますよね?)
ですから微妙な表現ができる反面、衰えやすいのも事実です。
この筋肉を上手に鍛えて、力を維持してあげましょう。

その方法が〔 フェイス ストレッチング 〕のエクササイズなのです。
ぜひ表情筋君を鍛えてあげてくださいね。
続けてやったことのある方は力がついてきたのを感じていることでしょう。
また、小さな力のない筋肉ですので、一生懸命鍛えたから筋骨隆々になる、ということもありません。
お顔のリフトアップを感じるとともに、表現力がついてきたのも実感されましたか?

先日テレビでも「二重あご撃退」が取り上げられていましたが、表情筋を鍛えることは、美容上も、コミュニケーション効果も、話し方にも関わります。
皆様も表情筋君をしっかりと鍛えてあげましょうね。

*2月の「勉強会」にご参加の方
目の前に置かれた表情筋の見本で、細かく分けられたそれぞれの筋肉のパーツを確認しながら、ご自分の筋肉も動かしていらっしゃったかな?
(2020年2月10日)

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前回、表情筋君について、触れましたね。
表情筋君てどんな様子なの?
平面的なイラストや写真ではよく見るのですが、「実際に見てみたいなー」って思う方も大勢いらっしゃるでしょう。
でも、わたくしたち自身が解剖に携わることは無理ですよね。
そのように思っている方のために、美筋Lab高見寿子氏と新潟大学医歯学系産学の教授の方々との連携によって、40個のパーツに分解し、また組み立てることのできる模型が研究・工夫されて作り上げられました。
それが「表情筋・咀しゃく筋模型」として販売されたのです。
3年近い研究、そして試作の繰り返しの成果だということで、当然私たちの立場ではありがたく購入させていただきましました。

その時、フェイスストレッチング協会の勉強会で集まった方々が、みんなで分解
したり、組み立てたりして「わー、このようなパーツの集まりなのだ!」と興奮したことでした。

「あれを又やりたい!」という希望もあって、今年2月の勉強会のプログラムに組み込みこんだのです。
今回も皆様大変乗り気だったので、プログラムのトップに持ってきました。

まず、分解ですが、小さな40パーツですので、しっかりと机の上に並べておかないと、次に組み立てる時に迷ってしまいますよね。
順番に担当し、緊張しながら小さな筋肉を母体の横に並べました。
迷子にならないでねー・・という気持ちでしたでしょうか、
皆様の指先が細かに動いて役目を果たしました。
ひっくり返して首の骨の内側からのぞくと、頭蓋骨の中も見られました。

さて、次は組み立てです。
同じように順番に担当しながら、筋肉の裏の細かな針を刺していきます。
分解の時よりももっと緊張したご様子でしたが、無事に元の形態に作り上げ、笑顔で「できたー!」と歓声を上げたことでした。

休憩をして、お茶をいただきながら楽しい話題で盛り上がり、ほっと一息ついたところで、「さあ!」と、エクササイズの実習に入りました。
皆様ご自分の手で分解し、組み立てた表情筋君たちをイメージしながら、しっかりと自分のお顔を動かしましたよね。
(2020年3月10日)

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「卒業式」「入学式」が話題になる時期ですね。
満開の桜の下に立つと、懐かしい昔が思い出されます。

初めての学校生活を体験したのは、疎開をしていた千葉県の田舎で、山を下ったところにある小さな小学校でした。

終戦とともに東京に帰り、親類宅に身を寄せて、近くの小学校に転校。
近所の世帯数もどんどん増えて分校ができ、私たち5年生が最高学年として移りました。
今の自宅のすぐそばにある小学校ですが、最初は小人数の一クラスで、
学校の近くに下宿をしていた担任のお姉さん先生の部屋にお邪魔をして、学校の教科以外のこと等を教えていただいた楽しい思い出も・・・。
母親たちと先生との交流もありましたね。

やがて独立した小学校となりました。
小人数の第一期生として卒業しましたが、懐かしいご近所さんであり、遊び仲間でした。
その頃、特に受験勉強をした記憶もないのですが、受持ちの先生のお勧めで受けたのが水道橋にある中高一貫の女子校でした。

小学校とはがらりと雰囲気の変わったそこでの6年間もいろいろの思い出を作ってくれました。
多くの友人に恵まれ、バスケット部に所属し、今でも「文学歴史散歩」に誘ってくれているのもそのころの仲間です。

そして大学受験。
一番親しかった友人は御実家の方針で女子大へ・・。
そして私は以前からの希望だった早稲田大学第一文学部へ無事に入ることができました。

古いアルバムを持ち出すと、それぞれの入学式・卒業式の写真がしっかりと貼ってあります。
どれもモノクロですが、それぞれの校風が偲ばれる写真です。
思い出すときりがないのですが、懐かしさの偲ばれる学校生活でした。

今年はコロナ君の影響で、どこもいろいろと制約のある卒業式や入学式でしたね。
我が家の孫娘もそのうちの一人で、保護者の出席もかなわず、在校生や来賓のお見送りもない、さびしい高校の卒業式だったようです。「本当に残念だったなー」と思ったことでした。
希望の大学に入ることは出来ましたが、ここも入学式に保護者はご遠慮ください‥といわれていたようでした。

それでも、それでもです!主役である当事者の皆様、同期の皆様との思い出を大切に!
そして、今後のお付き合いも継続していってくださいね!

落ち着いた世の中が続くことを願いながら・・・・・。
(2020年4月10日)

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最近この言葉をよく耳にします。
「歳を重ねると涙もろくなるのは、脳のブレーキが緩むから」
いつか見たNHKの定番番組のテーマでした。
同じ番組の中で、「歳を取ると、タッチパネルが反応しにくくなる」というテーマも扱っていました。これは手先が乾燥しているから?

「歳をとる」ということは様々な反応が出てくるのですね。
いや、反応が出なくなる?
今話題のコロナ君は、歳を重ねた人とより親しくしたいと言っているようですね。
傘寿を目の前にした身としては、ちょっと遠慮したいなあ・・。

電車の中で、何気なく優先席の前に立っている時、「どうぞ」と席を譲られると、「えつ?」と思ったりすることがあります。
確かに足は腰かけたいと言っているのですが、その好意をありがたいと思うのか・・・、また、恥ずかしいと思うのか・・・。
いつでしたか混雑した電車の中で、若いカップルの前に立ち、男性から席を譲られた時、これは老女に見えた私に対する好意? それともお隣の恋人(?)に良いところを見せたかったから?・・・とちょっと考えてしまったこともありました。

先日のテレビ番組で、新宿最後のキャバレーが幕を下ろしたと伝えておりました。
会社に入社したころ、同僚達と上司に連れられて銀座のキャバレーに行って、ダンスを踊ったことなども懐かしく思い出されました。

歳をとると、思い出もいっぱいになるのですね。
また、歳を取ったからこそ感じられる、考えられることもありです。

いろいろな事を感じ、考えるために、また思い出をいっぱい作るために、
次の米寿を目指して私も頑張りましょう!

その時にはどんなコラムを書くのかな?
(2020年5月10日)

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何とも落ち着かない連日の中で、ちょっと日常とは異なったところに目がいくと、少しの時間ですが、ほっとします。
と、言っても、ゆったりと書籍をめくろうとか、DVDを見ようとか…なんて気持のゆとりはありません。
そのあわただしい毎日の中で、必ず開くのがパソコンです。
仕事に出て行かない分(私用にもですが)、あれこれ連絡を取り、処理もします。

仕事に関係のない話になりますが・・・。
パソコンを開けたとき、デスクトップに世界各地の素敵な風景がまず一つ大きく登場します。
“”ここはどこでしょう“”をクリックすると、そのテーマに沿った様々な風景が見られます。

先日はギリシャでした。
懐かしい建物の写真もあり、ギリシャ・イタリアを旅行した時が思い出されました。
今はどこの国もそんなに悠長なことではないですが・・・。

でも、だからこそ気持ちを少々楽にするために、その頃を思い出してみたいのです。

今を溯ること20年くらいになるでしょうか。
その頃、親しいお付き合いのあったNHK学園の主催で、
「冨山眞知子先生とともに紺碧のギリシャと多彩の国イタリアを訪ねる」と言う企画がありました。
魅力的な企画でしたし、丁度私も動きやすい状態にあり、パーソナルカラリスト養成講座の修了生でもある末娘を連れて参加したのです。
冨山先生以外にもスタジオHOWを一緒に設立したメンバーも二人参加した楽しい旅行でした。

ギリシャもイタリアも、様々な歴史を持つ、見ごたえのある古い建物や遺跡などがたくさん存在し、案内をしていただきながら巡り歩きました。

私の知識では、一つ一つを拾い上げて・・・等、とてもできませんが、古いアルバムから有名な場所をいくつか抜き出してみました。

サンピエトロ寺院 (イタリア)  
パルテノン神殿 (ギリシャ)  ・・・・等々

名前だけはよく知っていますよね。
いつの時代のものでしょう。

その見事に残された遺跡を見ながら、「日本の木造建造物を存続させるのは大変な事よねー」と話し合ったことでした。

有名な『 トレビの泉 』にも行きました。
当然ですが、肩越しにコインを投げ入れました。

・・・・でも、まだ効果が顕れないなあ・・・。
…80歳を過ぎても、まだ行く機会があるかな!?
(2020年6月10日)

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「6月11日は広い範囲で雨が降る。九州北部、関東甲信、北陸、東北南部で梅雨入り。」と発表されました。
その宣言から数日たったある日、土砂降りの雨の中で、我が家の前に止まった車から降ろされたのは、何と二匹の可愛い猫ちゃんでした。
2階の孫たちが猫を飼いたいと言い出し、「野良猫の保護団体」をネットで調べ、幼い兄妹(姉弟?)引き取ったのです。

キジトラと呼ばれ、日本で一番多いといわれる模様の猫君です。
うれしいことに、人見知りもせずに「ニャー・・」と言いながら寄ってきます。
まだ生後2か月位ということですが、2匹ともフワフワで、ほんわかとした抱き心地・・・。
このようにして引き取った猫ちゃんたちですので、家の外に出すことは出来ませんから、これからの長い歳月(15年~20年くらい?)をどのようにして過ごすのでしょう。

その翌日が部分日食の予定日でした。
お天気が良ければ、東京でも夕方に部分日食が見られるということで、孫達と「見よう!」という計画になったのですが、ネット等でも厳しい注意がされていましたね。
肉眼で見るのはもちろん避けなければなりませんが、サングラスで見ることも眼に負担をかけるので、やめるように…とのこと。
念のために孫達に聞いたら、きちんと遮光板を用意してあるとのこと。
(やはり今の時代なのですねー)
それをひとつ借りて「21日夕方、部分日食が見られる」と楽しみにしていたのですが、お天気がぐずぐずしていて心配しました。
一時的に晴れてきた時間もあり、雲の向こうに太陽の形が見えた時もあったのですが、3時過ぎから大粒の雨が落ちてきて、降ったりやんだりの状況の中で、お陽さまを認識することができず、結局さよならをしてしまいました。
これが梅雨時の雨なのですね。
眼のためには良かったのかな?

そういえば、皆既日食を見たのはいつだったかしら?
10年以上前だったように思います。
次はいつごろでしょう・・・。
普段、ご威光を受けながら、あまり気にも留めていない天体に注意を向けたことでした。

腕の中の小さな猫ちゃんと、広い空の大きな太陽・・・に気を取られたあわただしい梅雨入りでした。
(2020年7月10日)

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ただいま放映されているNHKの朝ドラは、様々な方面に活躍した作曲家(古関裕而)と妻である歌手(金子)という実在の人物を扱っています。
昭和歌謡の時代なので、当然私たちにもなじみの深い曲がいろいろと登場します。
応援歌の方面では各大学の応援歌が扱われ、代表として我らが母校の応援歌「紺碧の空」が何度か流され、うれしくなってしまいました。

そして、いつでしたかしら・・・、懐かしいあの唄「船頭可愛いや」が、オペラ歌手としても俳優としても活躍している女優さんが演じる素敵な登場人物によって歌われました。
ドラマの中の存在も、宝塚の男役を思わせるような雰囲気なのです。
何人かの方がこの唄を歌っていますので、パソコンで検索して、最初に歌った「音丸さん」の唄を聞いてみました。
古い録音ですし、パソコンを通じての拝聴ですので、素敵な歌声・・とは言えませんが、こんな感じで歌ったのねー、と思ったことでした。

古い唄や歌手を検索したことに刺激されて、私の好きな昭和歌謡を歌った東海林太郎さんの、有名な直立不動の映像と、懐かしい歌声も聞いてしまいました。
「国境の町」「赤城の子守歌」など、ある程度の年代になった方はよくご存じですよね。
そう、あの頃を思い出して感慨にふけったことでした。

考えてみれば、パソコンという時代の先端を行く器材、でも、まったく色気のない道具が、私達の頭の中のみならず、胸の中にも情報を届け、『あの頃』に誘ってくれる・・・。
そのような時代になったのですね。
(2020年8月10日)

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この何ケ月か、今まで普段の生活の中でなじまなかった言葉が常駐しましたね。
まず【コロナ】
この言葉に出会った時、慌ててネットで検索をしたら、「太陽の一番外側の層」と出ていました。
続いて「広辞苑」をめくったら、まずこの辺りを最初に、「コロナ放電の光」などの説明も。
どこを見ても、今話題になっているような、「コロナウィルス」などにつながる説明はありませんね。

妙なところから話が始まりましたが、
先日新聞で今回テーマに掲げたような特集を組んでいたのです。
取り出して掲げてみますね。
「3密」「社会的距離」「不要不急の外出」「新しい生活様式」「ステイホーム」「東京アラート」「自粛警察」「緊急事態宣言」「GOTOトラベル」「クラスター」・・。
もっともっとたくさん取り上げられていましたが、今までの生活の中ではあまり使っていないような言葉ばかり集まっていましたね。

国語辞典編集に関わっている有識者が「今年の【新語・流行語大賞】はコロナ関係が席巻するのは必至だ」と述べていました。
「特に注目されるのは、もともと存在する言葉が、独特の使われ方をするケー
スだ」とも書いていました。
そうですね。
例えば【密】という言葉は昔からあり、国語辞典にも載っています。
ただし、文章語であるという注記があります。
それが、ここ数か月で、日常的に口にするようになり、新たな意味合いを帯びるようになったのですね。
「生活様式」「ライフスタイル」「テレワーク」「不要不急」・・なども?
「アベノマスク」も…「えへへ・・」と言いたくなるニュアンスを含んでいましたが、一般的に使われるようになりましたね。

取り上げたら、限がありません。
でも、やはりこの時代を、心配やら興味をもって生き抜けようと思っている身としては、これらの言葉を拾い上げてのちの世代に残しておきたい気にもなります。
でも・・・でもです。
のちの世代に語るときに、楽しい話題として話せるように世情を収めたいですね。
同じ時代を生き抜ける皆様、頑張りましょう!
(2020年9月10日)

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つまり私も80歳になったということですね。
この世情の中で料亭に親族みんな集まって・・と言うわけにもいかず、
家の中で家族の写真だけを撮りましょう、ということになりました。
夕方、近くに住んでいる息子一家が来て、2階の娘一家と集まりました。
傘寿の寿状と盛花を員子にお贈りいただき、それを膝にのせて、みんなで写真を撮りました。
これだけでも私にとってはうれしいことですよね。
「世情が落ち着いたら、喜寿の時のように、料亭で食事会をしましょうね」と約束をしたことでした。

贈り物にいただいたのは【新聞のコピー集】です。
私の誕生した日のコピーから始まり、7歳(小学一年生) 中学一年生の誕生日、高校一年生の誕生日、二十歳の誕生日、結婚式の日、子供達が生まれた日、孫達の生まれた日、喜寿の祝いの日・・・と、私にとって大切な日々の新聞のコピーが繰られています。

このアルバム(?)をじっくりと眺めていると、80年という長い年月に想いが戻ります。
この80年、私は何をしてきたのでしょう。

先日ちょっと触れましたように、戦時中に疎開をした時の記憶から始まって、戦後東京に戻ってからの生活、また中学受験、中高6年間のバスケット部の活動、大学受験、大学での学生劇団活動
就職してからのあれこれ、乗馬クラブへの入会、そこでの主人との出会い。
子供達の成長・・・孫達への愛情・・・と思い出せば限がありません。
パーソナルカラーとの出会いもあり、そこから始まったスタジオHOWの活動の中で、「フェイスストレッチング」分野の確立・・・。
そこに今の私がいるのですね。

傘寿の贈り物をいただいた時の贈り状に、「・・・素敵に歳を重ねていますね。いつまでも元気で・・」という一文があり(えへへ・・この言葉もプレゼントでしょうけれど・・)、本当にいろいろとやってきたなー、と思います。
やってきたことがすべて素敵なことであったかどうかは別として、あれこれと挑戦してきたことは事実ですね。
(周りの方に迷惑をかけたこともあるかなあ・・・)
そのようにやってみたくなるのが私なのでしょうか。
傘寿の日を迎え、そのようなところに想いが至ったことでした。
(2020年10月10日)

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我が家で読んでいる新聞で「戦後75年 終わらぬ夏」という特集を組んでいるのですが、先日有馬稲子さんが登場しました。
13歳という年齢で終戦を迎えた有馬さんは日本統治下の京城、今のソウルにいらしたのですね。
敗戦の時、日本舞踊の師匠だったお母様は満州に出かけていらして、2週間たっても戻らず、もう駄目だと思った頃にやつれ果てて京城にたどり着いた…という話から始まり、イワシ舟の船長に話がつけられ、密航舟で日本にたどり着いた・・・、などずいぶんつらい経験をしていらしたのですね。
そのお話を全部載せると長い記述になってしまいますので避けますが、私どもが存じ上げいる女優さんからは想像の付かないような苦労をなさったのですね。

その苦労話は置いておきまして、今私が取り上げたいと思ったのは下記なのです。
写真が何枚か掲載されておりましたが、その中の1枚の解説として、
「住人と始めた【モネコガーデン】に色とりどりの花が咲く」と書いてありました。
「モネコ」の名前がどのようにしてつけられたのか解りますか。

だいぶ前になりますが、私どものウェブサイトに「森川・立石対談」というのが載ったのを覚えていらっしゃいますか。
表情筋の先駆者森川藤凰医学博士とフェイスストレッチング協会主宰立石かずこの対談です。
修了生の希望で今も残してありますので、ご覧になりたい方は可能ですが、その中にいろいろなヒントがあります。
当時森川先生は有馬さんと同じ介護付き高級マンションにお住まいで、「森川・立石対談」はそこで行われたのです。
お二人は大変お親しくしていらして、お二人を中心に、そこにお住いの方々のコミュニケーションの集いとして「モネコ会」というのができていると伺いました。 森川の「も」と稲子の「ねこ」を繋げて「モネコ」と名付けたのですね。
その高級マンションにお伺いした時のことが懐かしく思い出されます。

対談の後、森川先生が私どもを送りがてら散歩に連れ出してくださったとき、 先生の携帯電話に有馬さんからお散歩のお誘いが入ったことも思い出されます。
新聞を拝見すると、有馬さんはとてもお元気のようですが、森川先生にももっともっとご存命でいらしてほしかったですね。
(2020年11月10日)

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皆様は俵万智さんという歌人をご存じですか。
先日新しい歌集を出版したと新聞に載っていました。
「未来のサイズ」というタイトルの歌集です。
「制服は未来のサイズ入学のどの子もどの子も未来着ている」という作品からとったタイトルですね。

この短歌、当たり前のことを書いているようでありながら、
何か読む者の胸をほっこりとさせてくれますね。
思わず、納戸の奥の押し入れから、幼いころのアルバムを取り出してしまいました。

ここに載せたのは、伯母、母、従妹と一緒に撮った中学入学時の写真です。
この写真から想像できる未来を私は辿ってきたのでしょうか。

話はちょっと逸れますが、
彼女の短歌の師である佐々木幸綱氏は、早稲田国文科の立石の同級生なのです。
又、担任ではなかったのですが、楽しい講座を聴かせてくださった暉峻康隆教授との飲み会などに一緒に連れて行ってくださった思い出などが懐かしくよみがえってきます。

自由な校風の大学だったのですね。
其のころの私はどのような未来を思い描いていたのでしょうか。

もうすぐ年が変わりますが、
傘寿を迎えた今、どんなサイズの未来が待っているのかな。
(2020年12月10日)

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皆様

明けましておめでとうございます。
良いお年をお迎えになりましたか。

旧年中はいろいろとお世話になりました。
コロナ君と付き合わなければならなかった昨年、
コロナ君と上手な付き合いが出来たでしょうか。

皆様と協力し合って、新たな新年を過ごしてまいりましょう。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
(2021年1月1日)

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早いもので、年が改まってから一ケ月になりますが、
皆様は年初に初詣に行かれましたか。
私も毎年1月2日に、近くに住む息子一家と近くの神社へお参りに行きます。

神社へお参りをする前に、手を清める手水鉢があるのですが、
いつもは置いてある柄杓が今年は無かったですね。
これもコロナ君への対処・・・?

昨年の破魔矢と、仏壇や家の中に貼ってあったお守りを持参し、お参りをする前に、お焚き上げのところで、お願いをします。
帰りに息子が、今年もまた破魔矢を買ってくれました。
また一年、我が家のリビングに大切に飾っておきましょう。
(2021年2月10日)

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~ あかりをつけましょ ぼんぼりに
    お花を上げましょ 桃の花
    五人ばやしの 笛太鼓
    今日はたのしい ひな祭り ~
(サトウハチロー作詞)

この唄を聞くと思い出すのです。
幼かったころのひな祭りを・・・。

第2次世界大戦の戦時中、千葉県の田舎に疎開をし、まゆ小屋を改築した農家の一軒家で、生活をしていました。
歌舞伎の狂言作者として仕事をしていた父は、慰問団として戦地や兵隊さん方の駐在しているところに赴いておりましたので、東京でも一緒の生活はしておりませんでした。

そのような状況下でしたので、疎開地に避難した時も、母がすべてを取り仕切り、母の親である祖母、父の母である祖母を連れて、限られた家財を荷車に積んで、東京から千葉県山武郡の農家の小屋まで移動をしたのです。
その限られた荷物の中にあのおひな様も大事にしまわれていたのですね。
一人娘の大事なお宝も・・という母の思いがあったのでしょうか。

ひな祭りの時期には、その小屋の裏側の廊下に、優雅な段飾りをいたしました。
そのような背景の中ですが、お内裏様もお雛様も官女たちも、優雅な雰囲気でゆったりと鎮座していました。

この様な雛飾りはどなたが考え出したのでしょうね。
ネットなどで辿ればいろいろと解説がなされておりますが、そのような事とは関係なく、この様なおひな様が自分の手元にあるというのは、女性にとって、やはりうれしいことですよね。
(2021年3月3日)

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3月6日(土)に『日本顔学会25周年記念シンポジウム』が開催されました。
参加した方がいらっしゃいますか?

会員にはオンラインでの参加のご案内が来ておりましたので、立石もオンラインで参加させていただきました。

簡単にご案内をしておきましょう。
第一部の最初は基調講演として菅沼会長のご挨拶から始まり、
学会の25年の歩みが語られました。
懐かしい話題も登場。

1996年から学術大会スタート。「顔学フォーラム」
2001年 日本顔学会誌創刊 「KAOGAKU」Vol.1
シンポジウム「顔」 様々な観点から開催
大顔展 国立科学博物館
    日本顔学会
    読売新聞社    主催 
歴代会長  香原志勢  原島 博  輿水大和
創立20周年 「顔の百科事典」を出版
ビジュアル「顔の大研究」 2020年発行
「顔学の未来へ」 
25周年 顔学の今後 未来プロジェクト

【特別講演 ①】 
馬場 悠男先生 
国立科学博物館 名誉研究員
「動物の顔・ヒトの顔」と題された講演でした。「犬から見ると人の顔は変だ」という楽しい出だしから始まって、犬の顔や猿の顔を分析、又、まつ毛や眉の役割が語られました。ホモサピエンスの顔の話題なども登場

【特別講演 ②】 
江川 悦子先生 
大阪樟蔭女子大学客員教授
「特殊メイクで造る顔」
人工皮膚を作成してモデルの顔に貼ると、顔を変化させる
様々の目的
老けメイク 坊主メイク ファットメイク(おデブメイク)
似せるメイク 変装 ファンタジーメイク 半人半獣メイク
(たのしいメイク顔がいろいろと登場)
【第二部】
「顔を楽しむ 顔で遊ぶ」 デモ・インタラクティブセッション

似顔絵作家 
若手交流会
化粧文化研究者ネットワーク
美人画研究会            
・・・による企画。

そして、各部門の代表も紹介されました。

第二部は 希望によって各部門に参加することが出来るので、当然「若手交流会」へと操作をしたのですが、立石には少々無理でしたね。
担当の方が、ミュートで助言をしてくださったのですが・・・
皆様はどのような参加をされましたか?

幹事の中には当然原島先生もいらして、懇親会での乾杯の音頭を取ってくださったので、
立石も手元にあったお茶で乾杯をしました
現場にいなくても「カンパーイ!」と声を出してしまったのですが・・・
どこまでが現場で、どこまでがオンライン…なんて気分で、お茶で酔っぱらってしまったりして・・・

閉会の後は会場から帰ってきた気分で、ゆったりとお風呂に入りました。
本当にどこからどこまでが現場で、どこからが自宅…という気分の6日の午後でした。
(2021年4月10日)

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先日、銀座からの帰りに、ふと思い立って有楽町駅の改札口ガード下をくぐって
皇居側に出ました。
そこには有名な建物があります。
皆様ご存じの『東京国際フォーラム』のあの舟形のビルですね。
普段はあちら側にあまり行くこともないのですが、なんだか覗いてみたくなったのです。

当時の読売新聞

当時の読売新聞

思い出します。
20年以上も前のことになるでしょうか、あの「東京国際フォーラム」でフェイスストレッチングのセミナーをさせていただいたのです。
読売新聞社「ぴーぷるクラブ」の主催で「豊かな表情で美しく フェイスストレッチングセミナー」とのタイトルがつけられて、新聞紙上でも案内がされていました。
「スタジオHOWの立石員子先生をお迎えして・・・」との解説がなされ、少々ドキドキして新聞を見たのを思い出します。
募集定員は50名、参加費用は2000円だったのですが、大勢の方がお申し込みくださって、抽選で参加者が決まりました。

当時の読売新聞

当時の読売新聞

2時間半ほどのセミナーでしたが、皆様大変熱心にご参加くださった情景が思い出されます。
大勢の方のご参加があり、評判が良かったとのことで、読売新聞社主催のカルチャーでも開催され、カルチャー講座としても定着していったのですね。
フェイスストレッチングの宣伝のようになってしまいましたが、ぜひ皆さまも「東京国際フォーラム」を覗いてみてください。

このビルその物も有名な建造物なのです。
「東京国際フォーラムは、東京都千代田区丸の内3-5-1,旧東京都跡地に建てられ、1997年1月10日に開館した株式会社東京国際フォーラム(完成当時は財団法人東京国際交流財団)が運営する公的総合文化施設。東京の代表的コンベンションセンターの一つにもなっており、英名は
Tokyo International Forumと表示される。」
と、フリー百科事典「ウィキペディア(Wikipedia)」に記載されている、と解説されておりました。

今回はぜひこの懐かしの場所に入ってみたいと思ったのですが、
時期的に、新入社員の方々、または新入生の方々のお集まりでもあったのでしょうか、大勢の若い方が制服のような姿でお集まりの様で、とても「中へ入ってみようかな・・」と言える状態ではありませんでした。

ぜひ又、ここで「フェイスストレッチングセミナー」を行いたいですね。
(2021年5月10日)

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先日、新聞に陸前高田の市役所庁舎が再建されると載っていました.
10年程前だったでしょうか、東日本大震災の津波で全壊し、職員111人が犠牲になったのですね。
新庁舎が建ったのは津波で浸水した小学校の跡地で、竣工式も行われたとのこと。
私にとってなじみのない場所なのに、この地名を見ると感慨にふけります。
思い出します。
何年位前だったでしょうか、中学時代の友人がボランティアとして陸前高田に通っていたのは・・・。

新庁舎は鉄筋コンクリート7階建てで、延べ床面積5900平方メートル。
屋上に非常用電源設備を置き、最上階に展望ロビーを設けた・・とのこと。
総事業費は約46億6000万円、と書いてありました。
市は「市民の生活再建を先に、市役所は最後に」との方針の下、2011年5月から高台の仮庁舎で業務を行って来た・・とのこと。
犠牲となった職員の遺族らは新庁舎の敷地内に刻銘碑設置することを検討している、とも書いてありました。

そうですよね。
あの時、犠牲になった方々の菩提を弔うためにも、
ぜひ、陸前高田の繁栄にために、お力を注いでくださいね。
新たな司令塔の下、どのように発展していかれるでしょう。
仏様たちも楽しみにしていらっしゃるでしょうね。
(2021年6月10日)

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『コロナ君! コロナ君!』と話題になっていますが、それに対応するワクチン接種会場の混乱も当然話題になっていますね。
予約が大変‥、病院の待ち時間が長くて・・、と騒がれていましたが、立石は高齢者優先制度が使えるということで、かかりつけ医院の予約を取ることが出来ました。
接種後しばらくは反応の出る方もいらっしゃるということで、立石にはお嫁ちゃんが付き添ってくれました。

接種後しばらくの間、病院の廊下で様子を見るように…とのことで病院の廊下で30分ほど過ごしたのですが、特に反応は無かったですね。
夜、布団に入ってからも、そちらを下にしないようにとのアドバイスを受けて気を付けて休みましたが、特に気になるような反応は感じられなかったです。

3週間位後に2度目の接種があります。
2度目のほうが反応は大きいだろうとのこと。
痛みが出たときの飲み薬もいただきました。
今回は夜中に少し腫れを感じましたが、特に目立つような事はなかったです。
次の接種の時はどのような反応があるのでしょう。
とにかく、コロナ君に負けないようにしなければ…ですね。

皆様が楽しみにしているオリンピックも控えております。
お互いに健康に留意し、コロナ君にもつかまらないように気を付けて、楽しい時代を過ごしましょう。
(2021年7月10日)

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7月の初めに都議会議員選挙が行われましたが、皆様は選挙に行っていらっしゃいましたか。
2階に住んでいる一番上の孫娘も2回目の投票に行きました。
大人の仲間入りをしたことになるのですね。

この方たちに今後の生活をお任せすることになるのでしょうか。

選挙と言うと候補者を乗せた車がゆっくりと町内をはしりまわる光景が思い浮かぶのですが、今回はありませんでしたね。
これもコロナ君の影響で道路側に人が集まるのを避けたということでしょうか。
候補者の宣伝チラシもお一方の物がポストに入っていただけでした。
残念ながら、この方は当選しなかったですが・・・。

7月と言えば当然お盆を思い浮かべますが、皆様のところでは、ご先祖様をお迎えになりましたか。お迎え火をたいてご先祖様をお迎えし、送り火をたいてお送りしましたね。
我が家でも孫たちが苧殻をたいて、ご先祖様に敬意を表しました。
この様な風習は残しておきたいですね。

そしてオリンピックが開幕されました‼
(2021年8月1日)

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ケアマネさんのお勧めで、体の筋肉を鍛えておくことが必要と元気ジムへ通っています。
週2回のプログラムが組まれております。

全部に出席をする予定を組むことは大変なのですが、どうしても避けられない用事があるとき以外は、ぜひ週2回参加したいと頑張っております。

当日、まずグループ全体の体操から入ります。
天井から下がった大きなリボン(ひも?)を使っての全身体操。
その後は様々な器具を使っての筋肉体操。
最後はベットの上で介護士さんによる体のもみほぐしを含む全身体操。

前の晩、遅くまでパソコンに向かっていた立石は、トロトロと眠くなってしまいました。
全体で2時間強位の時間だったでしょうか?
冷たい水(希望によっては暖かいお湯)をいただいた後、送りの車に乗りました。
外の強い雨を見て、隣の席の方とお話をしながら家まで送っていただきました。

当然、昼食時間は過ぎていましたので、あり合わせの食材にカップ麺を合わせておなかを満たし、ベットに転がってしまいました。
心地よい疲れの中で、昼寝をしてしまったことは言うまでもありません。
こんなのんきな主婦の昼間も良いですね。

でも、ここまでです。
大事な夕食の支度が待ち構えています。
買い物に行けるような雨の状態ではなかったので、あり合わせの物で何とか工夫をして、
夕食の準備をいたしました。

少々余分な話を付け加えましょうか。
ジムの休憩時間に若い男性の介護職員の方とお話をしていた時、
楽し気にチラリと頬の筋肉を上げる顔を見せてくださいました。
小頬骨筋の体操ですね。
びっくりして伺うと、立石の監修したムック本をご覧になったことがあるとのこと。
この様なお仕事の方々にまで観ていただいていると思うと、
うれしくなってしまいました。
(2021年11月22日)

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皆様

お変わりなくお過ごしですか。
早いものでもう年末が目の前に来ておりますね。

コロナ君、コロナ君・・と大騒ぎをした一年でしたが、
皆様に取りまして、どのような歳だったでしょう。
来るべき歳がより良い一年になりますよう、
心からお祈り申し上げます。

どうぞ皆様お元気で、より良い歳をお迎えくださいませ。 

フェイスストレッチング協会顧問 立石かずこ
(2022年12月)

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新年あけましておめでとうございます

フェイスストレッチング協会ではこの度
マスク下での顔の悩みに対処する
「表情アドバイザーコース」を開講いたします。
本年春より本格的に始動する予定です。

昨年は定期講座の他に、マンツーマン講座、オンライン講座を行いました。
今年はご要望の多いインストラクターコースも再開する予定です。
詳細は随時ホームページでご案内いたします。

今年度もよろしくお願いいたします。

フェイスストレッチング協会代表 清水則子
(2022年1月1日)

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隔月に1回発行される母校の学報が送られてきました。

母校およびその周囲の話題がいつも様々取り上げられています。

今回のテーマは「学生街の喫茶店」でした。
我が母校は「町の中に教室がある」と言われているように、
町の雰囲気になじんでいる大学です。
その頃も、今も・・・。

在学当時は、お小遣いがあれば、
友人とよく近所の喫茶店に行きました。
校内でも、もちろんおしゃべりは出来るのですが、
喫茶店の雰囲気は、また違った楽しさがありましたね。
授業の内容や部活の話、故郷の父母や兄弟・姉妹の話、
また、友人の話等々、話は尽きませんでした。

私はその頃、学生劇団に属していたのです。
当然、今関わっている芝居の話が熱心に語られたのは言うまでもありません。
並んだ稽古場を持つ他劇団の話も。
そして、劇場で見てきたプロの芝居の話も・・・・。

当然、高名な先生方の素晴らしい授業も受けたのですが、
ほとんど記憶に残っていません。
なんて・・・先生方、ゴメンナサイ!

でも、思い出せば、それらを含めて
私を育ててくれた母校だったのですね。
そこの卒業生であることは、やはり、私の誇りです。

私にとって大切な、大好きな、懐かしの母校です。
(2022年6月10日)